ページ

2012年1月13日金曜日

◆九州・山口の近代化産業遺産群に関わった人々~与論移住を考える

こんにちは、レポーターの春風です。
  
  
鹿児島「マルヤガーデンズ」(7Fオープンガーデン)でのトークショー
   
「九州・山口の近代化産業遺産群に
関わった人々~与論移住を考える」
                                                   
聴講して参りましたので、以下、概要をレポートいたしますネ。
            

大牟田の永吉 守 氏(NPO法人「大牟田・荒尾炭鉱のまち
ファンクラブ」運営委員)のお話がメインで、
「かごしま探検の会」の東川さんが司会でした。

100年以上前の明治31年、、、
三池炭鉱の石炭積出作業倍増↑↑のために、

鹿児島の与論島から、当時の島民の15%もの1200人が
島原の口之津へ 集団移住していたなんて、、、
    
初めて聞いて、ビックリいたしました!!

集団移住のきっかけは、当時の大型台風による大災害。

「ソテツ地獄」と言われた程、飢餓がひどく、悲惨だったとか。
(食べ物がなく、アク抜きしてないソテツの実を食べて、死者多数続出・・・★)
           
                                
集団移住後、与論の島民たちは、島言葉で 「ユンヌンチュ」 と自称し、
本土の人からは、さまざまな差別を受け、過酷な下請労働で
低賃金かつ、まともな住宅さえもない劣悪な条件下でした。

それでも、みんなで、なんとか頑張れた理由は、
<島の集落単位>で移住して、三線や舞踊などの
文化コミュニティによる結束力や相互扶助や精神的支柱があったお蔭だったとか。

また、移住民たちと本島(与論)との、ヒトや情報のやり取りも密で、

例えば、戦後、アメリカに占領された与論島の「本土返還の請願」が、
三池の地からも、福岡地裁に出された程だったとか。

・・・初めて聞くお話ばかりでしたが、

当時の皆さま方のご苦労を察するに、胸のつまる思いでした。
100年前の島民たちの、苦難を生き抜く強さにも、心を打たれました。
                  
しばらくして、石炭積込み作業が、島原の「口之津港」から、
炭鉱の近くに 新設された「三池港」へと移り、

それに伴い、多くの島民が、口之津から、三池の地へ、またも 再移住した由。

ちょうど2010年が、「三池再移住100周年」で、
世代交代や現地化も進む中で、記念式典が開催され、
あらためて、が深まっているそうです。

人々をつなげる文化コミュニティの大切さも感じました。       

     
「集団移住」は、昨年の 【 311大震災 】にとっても、重要なテーマだと思うので、
何らかの参考になるのではないか?と感じました。
      

次回(=第4回)のトークショーは、
  
1月14日(土)18:00~ 「マルヤガーデンズ」garden4にて。
 
テーマは、「近代化産業遺産対決~佐賀藩VS薩摩藩~
三原宏樹氏(NPOまちづくり研究所代表)
 


毎度、知らない歴史秘話で 感動☆するので、
こうなったら、全回制覇したいナ~! 
o(^-^)o
・・・ただ今、4階にて、昨秋と同じ「パネル展」も開催中です。
より多くの鹿児島の方々に、知っていただきたい史実だと思います。
        
          
◆ 「九州・山口の近代化産業遺産群を世界遺産へ」パネル展 ◆
      
マルヤガーデンズ garden4
      
2012年1月9日(月)~22日(日)
10:00~20:00
      
お問い合わせ先
099-227-5343
レポート by 春風
  
      

0 件のコメント:

コメントを投稿