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2011年3月6日日曜日

鹿児島市の小さな公園たち

鴨池公園は1916年に鹿児島電気軌道が開園した集客目的の遊園地でした。
現在の平川動物園は元々、鴨池公園にあったのです。



 ちょうど1年前、引っ越しを機に自転車を購入した。コイツがそこそこ走る自転車なのでついつい色んなところへ足をのばしてしまう。小回りも効くので、入ったことのない道があると興味本位で入り込み探検するようになった。

 鹿児島の街を自転車で走ってみるとよく分かるのは、住宅地にある小さな公園の多さだ。実はこの小さな公園たち、鹿児島の地形を考慮して計画されたことを皆さんはご存知だろうか?今回、僕はこの小さな公園たちについてちょっとだけ話してみようと思う。

 鹿児島の地形の特徴といえば真っ先に桜島が思い浮かぶが、火山活動の影響で発達したシラス台地が、市街地の北・西方に急峻な崖や丘陵地となって迫っていることも大きな特徴である。これら丘陵地は戦後、住宅地化が進み、多くの団地が整備されています。

 さて、こうした背景を踏まえたうえで戦前、鹿児島の公園をどう配置するか考えた人たちがいた。技師で鹿児島県土木課長の中川幸太郎と同じく技師の三浦鶴彦である。二人はこの市街地に迫り出した崖や丘陵地は人々の目を楽しませ、いつまでも残り続ける大きな緑の部分になると考えた。つまり、それらは人々にとって大きな公園のような役割を担ってくれると考えたのだ。
 そして、大きな公園ではなく小さな公園たちを中心に、その公園を使う人の数や歩いて何分以内に公園を作るかなどを考慮して配置した。小さな公園たちは旧城下町区域だけでなく荒田や永吉などの郊外地にまで分散的に計画された。こうした計画は全国的にも珍しく、計画が決定した時期もたいへん早かったため、先進的な公園計画として評価されているが、この計画は第二次世界大戦の影響で廃止され実現に至らなかった。しかし、三浦や中川の想いが戦災復興を経てなお、受け継がれ、実現した鹿児島の街に活かされていることはとても素晴らしい。

 また、小さな公園のなかには由縁があって開かれているものも少なくない。例えば、武之橋近くの松方公園には日本銀行を創設した松方正義誕生地碑が建立されている。下荒田のぐにゃぐにゃした道に突然、三角形の公園が現れるのは何とも面白い。平之町の平田公園には、薩摩藩の家老で幕府から木曽川の治水工事を命ぜられた平田靱負の屋敷跡を示す記念碑と銅像が建立されている。天文館からも遠くないので散歩がてら見に行っては如何だろう。こうした史蹟・名勝に関係する公園を見て回るのも面白いので、ご自宅の近くの公園を調べてみるのも楽しいかと。

 以上のように、鹿児島の街に小さな公園がたくさんあるのには理由があることが分かって頂けたと思う。普段見慣れた風景も、こうした人物の存在や鹿児島の街の特徴を知ることで、今までとはちょっぴり違って見えてきてくれれば嬉しい。余談だが、九州新幹線全線開業に併せて開催される全国都市緑化かごしまフェアも、こうした鹿児島の公園の特質を知ったうえで取り組まれていくと、一過性のものでは無い、地域に根付いたとても良い催しになったのではないだろうか。


みそっぷ

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